『平松小いとゞ全集』

谷口智行編
邑書林
定価:2,800円+税

谷口智行氏が熊野・新宮の先達平松小いとゞに惹かれて精魂込めて編みあげた一冊。

平松小いとゞは帯文の『父・竃馬(いとど)、師・虚子、先達・野風呂らに育てられ、「ホトトギス」の巻頭作家ともなり、京大三高俳句会の流れを強く刻みながら、戦争に翻弄され、満27歳にして河南省で銃弾に斃れた繊細鋭利、そして、類い稀な母恋句を生み続けた愛すべき青年。』人の一生は要約できるものではないが、この一冊を通して熊野を愛し、俳句を愛して逝ったひとつの青春を見ることができる。


分けても本書の序文となった虚子の「小諸雑記」の一部。

平松小いとゞの父いとゞの手紙「六月五日傷を受けて六月七日重態のまゝ過ぎましたが。七日午後七時ホトトギス十一月号の雑詠句を初めから読んでくれと言ひ、前島君が読むのを聞きながら莞爾として大往生を遂げたさうであります」

いつまでも時雨るゝ友と思ひつゝ  虚子

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ぬれ草に大きく光る蛍かな  小いとゞ

杉垣に今とまりたるとんぼかな

大正十五年小いとゞ十歳。初入選「熊野」大正十五年八月号

木の枝に浴衣をかけて夕すゞみ  小いとゞ

大正十五年「ホトトギス」十月号「各地俳句界」(西山泊雲選)

「ホトトギス」に名を遺した初の作品。

父・平松竃馬(いとゞ)は俳誌「熊野」主宰。昭和八年四月十日「虚子先生歓迎俳句会(熊野吟社春季大会)」を開催。集合写真には虚子を中央に平松家の姉妹、十六歳の小いとゞも並んでいた。

戦争で亡くなった五人(京大三高俳句会)の遺句集を発刊した高濱虚子の偉業。

高濱虚子選『五人俳句集』昭和二十二年十二月五日 竹書房発行

菊山九園編 濱邊萬吉装幀

序・高濱虚子/平松小いとゞ・清水能孝・日野重徳・菊山有星・上田 惠遺稿より(筆者抄出)


海の上一めぐりして鳥渡る  平松小いとゞ

高波の音聞え来る冬籠

春の水石にあたりてくだけけり

紙白く書き遺すべき手あたゝむ

向きかへて稲雀みな光りけり


テント打つ大夕立にうずくまり  清水能孝

炎天に大きな日傘魚売女

北窓を狸がのぞいて行つたのだらう

髪洗ふ母にはなぜか云ひやすく

夕焼の一点わが機還りしや


薬のむことも忘れて日向ぼこ  日野重徳

風花や母への手紙ふところに

炭火あかあか嫁ぐわかれの手紙掌に

ハンカチを握りてゐしが打振りぬ

帰るさの闇うつくしき蛍籠


高きより岩を離れて滝とべる  菊山有星

日向ぼこどこかで呼ばれてゐるらしく

春待つや羊歯あたゝかに雨に濡れ

書を積みし上に冬服壁に垂れ

如月の北斗光れり祈るなり


破魔矢受く母をはるかに見やりつゝ  上田 惠

母を待つ駅のつばくら出つ入りつ

昨年も斯くして入れし網戸かな

秋の灯の流るゝ雨のアスファルト

月鉾に月がかゝれば舞台めき

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新宮を去る頃同窓の細木大三郎氏が巻頭を取ったときには『大三郎やりをつたな。僕もいざ出陣といふときには必ず巻頭だよ』と父竃馬に言っていたが、翌年四月号の巻頭を知らずに逝った小いとゞ。

細木大三郎「ホトトギス」連続巻頭作品

◉「ホトトギス」昭和十七年八月号

征く海路酷暑と敵といづれぞや

暁の虹夕の虹や海を護る

スコールの去りつゝ虹の育ちつゝ

◉「ホトトギス」昭和十七年九月号

月涼し八重の潮路を征く御艦

常夏の海は母なき子にあをし

カヌーなる親子に椰子の島昏れて

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子は母の背に肩掛のなかに寝て  平松小いとゞ
紙白く書き遺すべき手あたゝむ

一句目、男子はすべからく母を恋う。出征の折り駅頭か町中で見た写生句かもしれないのだが、新宮の母とおんぶされている自分とを想ったことだろう。二句目、中国大陸の寒さ極まる辞世の句と思えばそう思える。

小いとゞは戦争という時代の波に持ち去られた犠牲者の一人であった。生還していればホトトギスも俳句界も変わっていたかもしれないと思う読後感である。

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平松小いとゞの俳句 八四七句、散文が収められており、この書は黄土眠兔(きづち みんと)、森 奈良好(もり ならよし)、邑書林社主 島田牙城(しまだ がじょう)氏の資料提供、全面協力のもとに成った一書。

(たにぐち ともゆき)昭和三十三年京都生まれ、和歌山県新宮市育ち。平成七年「運河」茨木和生に師事。平成十二年「深吉野賞」選者特別賞、平成十六年「朝日俳句新人賞」準賞、三重文化賞奨励賞。現在「運河」副主宰兼編集長・俳人協会会員・日本文藝家協会会員・大阪俳人クラブ会員・日本現代詩歌文学館振興会評議員。句集『藁嬶』『媚薬』『星糞』、エッセイ集『日の乱舞/物語の闇』、評論『熊野、魂の系譜』『熊野概論』、共著『女性俳句の世界 第五巻』『俳コレ』。紀南医師会副会長・医学博士。


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