百鳥同人作品鑑賞/6月号より

「百鳥」同人作品欄の作品鑑賞

6月号をお送りいたします。馬場龍吉


 剪定の師弟の鋏ひびき合ふ      大串  章

 何の世界にもいえることだが師があって弟子がいる。ここでは庭師の鋏の音が響き合うことしかいってないのだが、こと俳句に関しても響きあう世界があるのではないだろうか。〈接木して空に未来を託しけり〉この掲句にも次々と増えてゆく師弟関係に未来を託す姿が想像できる。


 野遊びのどこに立ちても富士の在り  甲斐 遊糸

 羨ましい所にお住まいのようだ。東日本、西日本に遠く住んでいる人にとっては富士の美しさは写真やテレビで知っている程度で、最も近くて新幹線で横切るくらいのもの。それが野遊びしていても見えるとは毎日が正月だ。


 くるぶしまで膝まで草の芳しく    森賀 まり

 草原を分け入ってゆく草の丈の変化。座五「茂り」と安易に持ってくるところ、「芳しく」と配したところに草いきれの草の香が身体いっぱいに広がった。


 芽柳の触るる水面の笑ひけり     石崎 宏子

 芽柳がときおり触れて作る水輪。山笑うがあれば水笑うがあってもいいではないかという実験作か冒険作か。芽柳のくすぐる水面、たしかに春に相応しい笑いだ。


 雛の日や窓に来てゐるしづかな木   久保田哲子

 にぎやかであろう雛祭の一日。ふと庭に目をやるといつも立っている木が見える。見慣れている木なのだが雛祭に参加してくれていたような身近な人格を感じる木なのだ。いつも家族を見守って立っている「しづかな木」が出色。


 大木の大散財の花吹雪        不破 秀介

 言葉をみんな言ってしまっていいのだろうかと思っていると「イインデス!」と天の声が聞こえてきた。桜はかなりひ弱な木なのにあの花吹雪。驚きの滲みでた俳句だ。


 春の雪町工場より軍鶏の声      酒井 康正

朝の風景だろうと思う。町が動き出していたら機械音で軍鶏の声は聞こえてこないだろう。工場と軍鶏という意外性の良さがあり、軍鶏の声が聞こえる春というのがいい。


 はじめての単身赴任春の海      青池  亘

 単身赴任の期待と不安の広がるなか、春の海の明るさが家族とも離れる不安のすべてを一蹴してくれそうだ。いっそのこと赴任地が海であったらどんなにいいだろう。


 せせらぎの新譜は春を奏でけり    今井 嘉子

まず、春の川音を新譜と捉えられる感性を素直に羨ましく思う。春のせせらぎの調べは、冬のあいだの萎縮した川音とは違ひ滝の前の深呼吸にも似た清々しさに違いない。

  

 削られても削られても山笑ひけり   坂本たま子

 昭和の頃の山は自然のことを考えずにひたすら国土建設優先で来たのでこういう山がそこここにあったようだ。それでも木々は残り葉を繁らせてきた。土砂崩れの一因にも繋がる人間の悪行の反省を促す警鐘であろう。


 里山はものの芽なべてかがよへり   寺岡八重子

 素十が「ものの芽」を使って以来俳人には使いにくい季語となってしまった。新芽の明るさはいうまでもないことだが、心眼の「耀う」を使ったこの句には無理がない。


 初音して雲のほどけし雑木山     寺堂 良子

 この因果関係のない詠みっぷりは俳句ならではの魅力である。そしてもうひとつの魅力は「雑木山」の使い方だ。ここには名の山を持って来てもいいところなのだが、雑木山を使うことで鴬そのものだけに焦点が当たり、読者の身近な山に置き換えることができる作品となった。


 みちのくへ星見る旅や水温む     早瀬 和子

 なんとも羨ましい旅だ。やはり空が澄んでいないと星を見ることは叶わない。とは言え何も言っていない分おいしい米とおいしい酒が待っているのだろうと想像できる。


 潜るにも浮くにも水輪かいつぶり   森川 泰雄

 瞬時に成した即吟かもしれないが、二時間いや半日粘ってようやく賜った一句かもしれない。水面と水輪しか見えないかいつぶり。こどものような目で物を観る事も大事。


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